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わたしと福ねこ舎
2020/04/16
私はダルマ
もの言うダルマ
私は、ダルマだった。800gでこの世に生を受け、2歳半まで歩くことが出来ないダルマだった。その後足に装具を付けゆっくり歩きはじめた。少し言葉の遅れがあったため小学校の時は、言葉の教室にも通って教科書などを声に出して読む発音の訓練などもした。
中学校に入り声変わりするとクラス中のみんなに真似をされた。歩き方まで真似された。こうしてずっとイジメられてきた私であったが、そんな時でも負けずに奮い立たせる一筋の希望の光があった、それは…
西南戦争で、兵隊が敗走して助けを求めて来たという祖父母の家に伝わる話しを聞いて好きになった「歴史」だ。日本の歴史の重要事件に自身の先祖が関わっていたと思うと興味が湧き、心ワクワクしたものである。それは得意分野となり、誰にも負けない自分の強みとなった。歴史や郷土史という森に分け入り随分たくさんの史跡にも出かけた。中学高校と学年が上がるにつれますます好きになり幾多の本を読み、大学も歴史の分野に進んだ。この間には、歴史を教えてくれる諸先生とも出会った。私がなぜ歴史を学ぶのか?それは、古い文書や写真などを通じその時代を生きた人々がどう行動しどういう生活をしていたか?が理解でき読み説くのが楽しいからである。今後も研究を続けたい。
大学を出て車の免許を取ったがなかなか仕事が見つからず困り果てていた。そんな時T施設長と出会いI事業所を紹介され、仕事に就くための訓練を2年間した。美しい字を書く練習や、人とのコミュニケーションの講座、履歴書の書き方など1日6時間程多くのことを学んだ。
そして新しくできた事業所を紹介された。そこで一生懸命自分なりに働いていたのだが、最初の方はとても働きやすく環境も良かった。ただあることがきっかけで支援員さんと衝突した。私自身も悪いところが多くあったし反省もしている。色々と言われ辛かったが、僕は我慢していた。でもある人とケンカをしたせいで怒りが一気に爆発した。一言言いたいのは利用者さんのお手本となる支援員さんであってほしい。私はあまり休むこともなく、毎日毎日通って頑張ったのに…と今となって思う。そこを辞めてまた福ねこ舎に帰ってきた。私を暖かく迎えて下さり、今は元気に明るく楽しく働いている。心の故郷のような存在だ!
そんな私の大切な場所が現在「新型コロナウイルス」のせいで外へ販売にも行かれずピンチだ。もしココがなくなったらと思うと生活にも困窮するし、収入も減少する。そのような世の中になったらここで働いている人たちも困る!人生七転び八起き倒れてもすぐ戻るダルマのように、いつになるかわからないけれども好転してほしい。
それが私の願いである。